~ 反省・耐震補強の重要性 ~ ~ 大地震の前兆現象 ~
● 阪神・淡路大震災から30年
1995年1月17日早朝、関西地方で大地震が発生しました。これが阪神・淡路大震災です。今年はこの震災発生から丁度30年という節目の年にあたります。この震災では、約6,500人の命が奪われました。
さらにこの震災では死者の80%はほぼ即死であり、実は建物倒壊が原因となっていたのです。このため、関東大震災は火災のみが注目されていたのですが、耐震補強という事が大きくクローズアップされる事となりました。次の図は阪神・淡路大震災で何時にどれくらいの方が亡くなったかの検死記録です。
ハイパーレスキュー隊や探知犬などの活躍が大地震の後に話題になりますが、この阪神・淡路大震災では、いくらレスキュー隊や自衛隊が活躍しても、この80%の人は決して助けられなかったのです。
またこの地震で明らかになったのは、関西地方の人は「関西には大地震は来ない」と考えていた人が多かったという事で、いかに地学的な知識が重要かという事を思い知らされた地震でした。
もし地震予知が実現すれば、それは人的被害低減に大きく貢献する事を意味します。また「予知か防災か」という議論がなされる事がありますがこのステレオタイプの議論は間違いです。たとえ予知に成功しても地震は発生しますので、防災と比較すべき事ではありません。あえて言えば「予知も防災も」が正しく、予知は地震防災において人的被害を減らすという意味で最後の砦なのだと考えています。
さらにこの地震では、関東大震災のように火災で亡くなったというより、さきほども述べましたが建物の倒壊により命を落とした方が極めて多かった事が特徴でした。窒息死、圧死、ショック・損傷、打撲・挫滅症、臓器不全・凍死・衰弱死、焼死・全身火傷等の死因に分類されているのですが、実に死者の83%の方が建物倒壊等により亡くなっていたのです。これが阪神・淡路大震災の最も大きな特徴でした。
DuMA/CSOもこの震災で圧死された方の写真に接する機会がありましたが、圧死の場合は私のような素人でも、ご遺体にはっきりと亡くなられた状態に違いがある事がわかりました。具体的には圧死の場合、胴体は真っ白になっており、手足の末端部は真っ赤(真っ黒)という状況になっていました。つまり胴体は心臓から血が押し出された状態になっており、それが末端部である手足から戻ってこないために手足に血が溜まった状態になっていました。
それと火災の発生と建物の倒壊との間に、極めて興味深い関係が明らかとなったのもこの震災の特徴でした。次の図は、この地震における建物全壊率と直後出火率の関係です。
この図から、極めて興味深い事実が見てとれます。つまり、火災は建物が倒壊した事により引き起こされていたのです。建物が全壊しなかった北区と垂水区では直後出火件数はゼロだったのです。建物を壊さない事が火事を減らす最大の要因だったのです。ちなみに原因の判明した火災については、地震発生直後は電気・ガス関連が多く、地震の数時間後およびその翌日以降では電気関連が多かった事が確認されています。この電気関連というのは、通電火災であった事も確認されており、避難中の留守宅などで送電回復に伴う火災が初期消火されずに発生したものも多い。この震災をきっかけに避難時の電気ブレーカーの自動遮断の必要性等が指摘された事も大きな特徴と言えると思います。
● 耐震補強の重要性 さらにこの震災では死者の年齢分布について、極めて深刻な結果が得られました。次の図は阪神・淡路大震災における年齢別死亡者数です。さきほどこの震災では、80%以上の方がほぼ即死であった事を説明しました。そのため、この年齢別の死亡者数のグラフはおおよそ即死した方の年齢分布とも言えるのです。中年からご高齢の方が確かに多いですが、これは中小企業や古い商店街であった長田区で多くの方が亡くなったためと解釈されています。
それ以外に特徴的なのは、20歳から24歳の所に顕著なピークが存在する事です。実はこれは大学生なのです。一般的に日本では高校生まではご両親と一緒に暮らしている方がほとんどです。そして大学を卒業しますと、初任給も入りますから、学生時代よりは少しは良いアパート等に住む事になります。
つまり日本で、一番安い=古い家に住んでいるのは、大学生なのです。このグラフは家が地震と同時に圧潰(pancake collapseと英語では表現します)してしまうと、体力は関係無いという事を意味しているのです。極端に言えば、地震が人を殺すのではなく、家が人を殺すのです。
このような事実から阪神・淡路大震災では、耐震補強の重要性が改めて認識される事になったのです。それとトイレの重要性がこの震災以降、再確認されたのです。現在、避難所における「TKB」という事が言われるようになりました。「TKB」とは、トイレ(T)、キッチン(K)、ベッド(B)の頭文字で、災害関連死を防ぐためのポイントです。TKBの整備・改善が重要とされる理由は、過去の大災害でトイレの我慢や冷えた食事、雑魚寝などの状況が続いたことによる体調の悪化や災害関連死が報告されているためです。
しかしながらこの大震災から30年が経過したにもかかわらず、能登半島地震でも浮き彫りとなりましたが、避難所での雑魚寝という状況が解消されたという状況になっていないのが実情です。地震災害における避難は長期化する事が多いので、被災後に自宅で暮らせるためにも、住宅が強いという事が人的被害を減らすという意味で最も重要な点と考えています。
● どんな地震だったか? (サンテレビの記録より 12分)
● どんな地震だったか? (読売テレビニュースより 8分)
この地震の丁度1年前(1994年1月17日)、カリフォルニア州でノースリッジ地震が発生していました。ノースリッジ地震では、高速道路が大規模に崩壊し、大きな話題となりました。当時の日本の建築学・土木工学の専門家は「日本では地震で高速道路が崩壊するような事は無い」と発言していたのですが、阪神・淡路大震災では、阪神高速道路が600m以上に渡って横倒しとなり、その自信が打ち砕かれる事となりました。
● どんな地震だったか? (カンテレニュースより 9分)
● 地震予知研究事始め ~ 地震予知研究の学際的意義 ~
日本では7次地震予知研究計画の途中の1995年に阪神・淡路大震災が発生し、予知研究は大きな見直しを迫られる事になったのです。1995年は近代日本にとってある意味象徴的な出来事が続いた「最悪の年」だったと筆者は考えています。まず1月17日にはこの大震災が発生しました。そして3月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生し、それ以降日本中が大騒ぎとなったためです。実はこの両者はいずれも文部省が管轄する研究であり、宗教法人であったのです。そのため地下鉄サリン事件が発生する迄は、文部大臣の頭の中は震災以降の地震研究体制をどうするかという事に占められていたのですが、地下鉄サリン事件以降は、オウム真理教対応が最重要施策となってしまったのです。
この阪神・淡路大震災をきっかけに、大学研究者(=文部省)だけに地震予知研究を任せておく事は出来ないという事になり、当時の科学技術庁が高密度な地震観測網を新たに展開する事が決まり、全国に微小地震観測網や人工衛星を用いたGPS地殻変動観測網が展開されるようになったのです。この観測網がその後の地震予知研究を多いに進展させる事になりました。
その後、1999年から、より基礎研究に軸足を移した「新地震予知研究計画」が開始される事になりました。さらに2011年に東日本大震災の発生を受けて、地震予知研究は再び大きな批判に晒され、それまで「唯一予知可能性がある」とされ、集中的な観測を実施してきた「東海地震」についても、新幹線や高速道路を止めるといった施策が盛り込まれていた「東海地震の警戒宣言発令」という枠組みが2017年に廃止され、今は「南海トラフ地震に関連する情報」というものが発令される仕組みに変更となりました。
この事から、メディアでは「地震予知は不可能」「地震学会、予知を断念」と報道される事になってしまいました。DuMA CSOはこの東海地震の警戒宣言を出さない事を決定した内閣府委員会のメンバーでした。この時、行った発表は「確度の高い予測は困難」というものだったのですが、これがメディア的には「予知は不可能」という報道となったのです。「確度の高い予測」という文言の真の意味は「学者が発表して、市民がすぐ行動を起こす気になる精度」という事だったのです。実際には、上記の各種観測網の整備により、はるかに地下で今何が起こっているのかについては、良くわかるようになっているのですが、「今地下で起きている事」と「いつ地震が発生するのか」という事の間にはまだ大きな隔たりがあるという事が「確度の高い予測は困難」という発表になったのです。
我々はまだ実用的な地震予知を実現していませんが、少なくとも南海トラフ巨大地震の前にはどのような現象が発生する可能性が存在するのかについては、観測的にも理論的にも大きな進展があり、それゆえ、万が一の時には南海トラフ地震に関する「臨時情報」というものを発表できるのです。
阪神・淡路大震災前の観測された 前兆現象(後日研究)
● DuMA地下天気図® 阪神・淡路大震災前(後日調査)
● JNN調査報道スペシャル「阪神大震災は予知できた!?」(1/3、2/3,3/3)
● 阪神・淡路大震災前のラドン・ガスの異常
● 阪神・淡路大震災直前の発光現象の観察について この震災では顕著な発光現象が観察された事も特筆である。
地震発光は1965年から続いた松代群発地震で何度も写真撮影された事から、それまでは伝承であったものが、その存在が科学的に認知された現象である。
阪神・淡路大震災では、その後、海洋研究開発機構(JAMSTEC)の理事も務められた阪口秀氏による詳細な目撃談が残されている。
詳しくは「どうして光るのか?」と題する2007年に名古屋大学で開催されたワークショップの記録があります。
● 地圏・大気圏・電離圏カップリング(LAIカップリング)とは
地震が地下での力学的現象であるという、ある意味固定的な概念では、ここで取り上げるような大気圏、さらには電離圏にまで地震現象が影響を与えているという事は俄には信じられない事と思います。ところが、1970年代ごろから、「宇宙からの地震予知・津波予測」のセクションでも述べましたが、大地震の前に、電波伝搬の異常が発生しているのではないかという結果が論文として報告されるようになってきました。
本セクションで取り扱う「地圏・大気圏・電離圏カップリング」は、LAIカップリング(Lithosphere-Atmosphere-Ionosphere Coupling)として、国際的に認知されるようになり、各種学会で特別セッションが組まれるまでに成長しました。
実はこの分野の研究を大きく進展させて地震がありました。それが1995年に発生した阪神・淡路大震災なのです。この地震を例にどのような現象が観測されたか説明したいと思います。
阪神・淡路大震災の時に何が観測されていたか
この大震災の前には、実は様々な電磁気学的な異常が観測されていたのです。このうち最も驚くべきは地震の前に、その上空の電離層に異常が起きていた可能性が高いという事が判ったのです。
観測結果を解釈しますと、どうやら地震に先行する地震電磁現象には、地下から地震前に直接シグナルが放出される(能動的)というものと、震源上空の電離層に異常が観測されるというもの(受動的)の2種類が存在する事がわかりました。図では基本的に上から下に低い周波数から高い周波数の観測を示しています。また現象面からは上に“能動的”現象、下に“受動的”現象を示しています。
図中のカッコ内は観測者と観測地です。1-5はいずれも電磁波異常ノイズで、広い周波数にわたって、しかも震源地の神戸から数100kmも離れた場所においても、地震発生の1週間ほど前に鋭いピークを示しています。しかし、これには問題がない訳ではなく、この日には雷の活動もあったのです。雷は強力な電磁波発生源であり、地震前兆と見えたのは実は雷の電波だった可能性もあるのです。ただ、実際には雷発生のピークと電磁波異常ノイズのピークは一致していないのですが、両者の関連は否定できません。それよりもっと面白いことには、地震前には電磁波異常ノイズが発生し、しかも雷も発生するという例が極めて多いのです。地震、雷なんとやらと言いますが、地震発生直前には大気の中の電気的性質も変化し、雷も発生しやすくなるのではという可能性すら考えられているのです。5は明石市で22.2MHzという帯域で電波干渉計により木星電波の観測をしていたのですが、地震発生の20分ぐらい前から震源地の野島断層方向からの強烈な電波を観測しました。6と7の現象はこれら能動的現象とは明らかに違うもので、上述の受動的現象に当たるものです。7は対馬で発信されたオメガ(航法用)電波(VLF)を千葉県の銚子で観測していたところ、地震の2日ほど前に大きな異常が見られたというものです。6の場合は流星の到来を遠方のFM放送波(VHF)の反射によって検知する観測をしていたら、流星も来ないのに異常な電波が受信されたというものです。これら二つ(6と7)は、地震直前に人工電波の伝搬異常現象がおきていたことを示しており、震源上空の電波伝搬経路(電離層)に異常が起きていたのではないかと考えられるのです。
次にお示しする図はLAIカップリング仮説を説明する各種観測手法を表したものです。
● LAIカップリング
(Lithosphere-Atmosphere-Ionosphere Coupling: 地殻―大気圏―電離圏結合)
LAIカップリングは地震あるいは地震前兆が地殻(地面の中、岩石圏、地圏)だけの
現象ではなく、広く大気圏や電離圏まで影響を与えている可能性がある事から提唱された。
その後、地震時の現象だけでなく、たとえば津波による海面の変動により、大気が押し上げられ、
さらにそれが電離層にまで伝わる現象や、隕石が地球に落下する時に、
電離層に大きな穴(電子を消滅させる)が開き、さらに大気圏で衝撃波を生じ、
それが地面に影響を与え地震計を揺らす現象も広くLAIカップリングと呼ばれる事となった。
地球の半径は約6300kmであるが、殆どの地震は深さ100km程度までで発生している。
いわば地震は極めて地球の表面近くの現象なのである。
さらに電離層も高度80km位から始まり、その間に大気が存在する。
いずれも極めて地球の表面近くに位置しており、電離層は地表を写す鏡とも言える。 ● 阪神大震災の時何が起こったか?(その2)
電磁気学的な地震予知研究の歴史は古いが,1995年の阪神大震災の際に観測されたさまざまな電磁気学的な現象についてここで説明したい.観測のうちのあるものは地震予知を目的として行われていた研究もあるが,いくつかのものは全く偶然に観測されたものである.以下詳しく述べていきたい.なお所属は当時のものを基本としている(敬称略).
2.1 地震前後3ヶ月間のデータについて
図2-1は阪神大震災当時に行われていた各種手法による観測点分布図である.以下周波数ごとに記載していきたい.図2-2は阪神大震災前後3ヶ月のデータ(1994年12月~1995年1月)をまとめたものである.
地震に関連する電磁気現象としては現在2種類の現象が報告されており,一つは地下から地震前に直接シグナルが放出される(能動的)といういわば古典的なもので,もう一つは震源上空の電離層に異常が観測されるというものである(受動的).図2-2では基本的に上から下に低い周波数から高い周波数の観測を示した.また現象面からは上に“能動的”現象,下に“受動的”現象を示している.また一番下には気象庁による阪神地区の地震数のデータ(気象庁,1996)を示した.
1)ELF帯での観測
名古屋工業大学の畑 雅恭(現・愛知県立大学)らのグループでは223Hz±0.5Hzという超狭帯域で地震・火山活動のモニターを目的とした磁場3成分の観測を実施している.装置は極めて高感度で,感度は1pT/ルートHzに達する(たとえばHata et al., 1996).畑がこの周波数を観測対象として選んだのは,
・素数である
・50Hzおよび60Hzという商用電源周波数の高調波ではない.
という事から人工雑音の影響をきわめて受けにくいとの理由からである.畑によれば主なノイズは赤道地方を起源とする遠地雷の影響が日変化として観測されるとの事である.図に示したのは雲仙火山の活動監視のために設置された磁界センサーの東西方向の変動を示す.残念ながら当時はアナログ記録しか残っておらず,若干の欠測もあるが,1月10日にのみ顕著なピークを観測している.後述するようにVLF帯からHF帯では空電の影響を大きく受けるが,この周波数では直接の影響は小さいとの事で,近接雷は波形の相違により容易に識別できるとの事である.当時の記録はペンレコーダーの紙出力のみのため,ウェーブレット解析のような詳細な解析は不可能であるが,1月10日のピークは顕著と考えられる.
2)VLF帯地中電界観測
科学技術庁・防災科学技術研究所の藤縄幸雄は通信総合研究所の高橋耕三らと協力して既存のボーリング孔のケーシングパイプをアンテナとする地中アンテナ測定システム(ボアホールアンテナ)を開発した.彼らは地震・火山活動に伴う電磁界変動を検出する目的でULF帯,VLF帯で地中電界変動を測定していた(藤縄,高橋,1995).図に示したのは千葉県・波崎観測点で得られたVLF帯のあるしきい値を超えた電界変動のパルス数をあらわしたものである.12月上旬にも大きなピークがあるが,やはり1月9日,10日前後にきわめて大きなピークの存在する事がわかる.また目視で明らかに地震当日を境にバックグラウンドレベルに明瞭な差のある事がわかる.これらの変動は余震活動に伴う変化である可能性が高いと著者は考えている.
3)VLF帯,LF帯空中電界観測
京都大学の尾池和夫は1980年代初頭から地震に関連する電磁気学的現象に興味をもち,LF帯(163kHz)およびVLF帯でパルス状の電界変動をカウントするシステムを自作し,観測を続けていた(4章を参照のこと,たとえばOike and Ogawa, 1986).図に示したデータは京都府宇治市で観測されたもので,やはりVLF帯,LF帯とも1月9日,10日を中心に顕著なピークを観測している(Yamada and Oike, 1996).なお尾池らの先駆的な研究については第4章でも説明する.
4)HF帯地中鉛直電界観測
通産省工業技術院・機械技術研究所の榎本祐嗣(現・名古屋工業技術研究所)は固体表面の物理学(トライボロジー)の専門家であり,固体表面の破壊という観点から地震予知研究に興味を持つに至った.彼らは新しい固体表面が形成される時には電子が放出(エキソエレクトロン)されるという実験室内での結果を地震に適用し,地震の前の微小破壊に伴い高い周波数の電界変動が観測されるはずであるとの仮説を提出していた.このため鉛直方向の高周波の電界変動を測定すべきとの結論に達し,そのための測定装置を開発した.彼らの装置は基本的には鉛直方向の電位差を測定するものであるが,ある一定の周波数より早い変動が何回観測されたかを記録するものであり,厳密に周波数特性を定義する事ができない(Enomoto et al., 1997).図に示した記録は工業技術院構内に設置されたつくば観測点の記録であるが,京都大学のLF帯のパルス電界測定ときわめて相関の高い記録がつくばと宇治という約500kmも離れた遠隔地であるにもかかわらず得られる事がこれまでの経験でわかっている.またこの観測も上の尾池や藤縄らの観測と同様に空電の影響を大きく受けるのであるが,コマーシャルベースの落雷データとの比較から,榎本らのシステムが落雷を検知できる領域とそうでない領域が地質構造に支配されている事が判りつつあり,極めて興味深い観測事実である.
5)HF帯電波観測
兵庫医科大学の前田耕一郎は,木星からの電波を観測する目的で22.2MHzの周波数で兵庫県明石において観測を行っていた(Maeda, 1996).前田の観測システムはダイポールアンテナを2組使った簡易電波干渉計とよべるもので,電波到来方位をある程度識別する事ができる.1月17日の朝も木星からの電波を観測していたところ,位相のそろった(換言すれば固定された発信源からの)パルス状の電磁波を5時20分ごろから観測した.その異常は本震をはさんで観測された.なお方位探査結果から,この異常電波は野島断層方向から到来した可能性があるという事である.図に示したものは1月17日の朝と同様なパルス状変化の数をカウントしたもので,17日に顕著なピークのある事が分かった.
ここまで示した観測は地震に関連して震源あるいは震央からの”能動的”シグナルを見ていると考えられる.それに対して以下の2例は震源域の電離層がなんらかのメカニズムで地震前に擾乱をうけている事を示唆する観測例である.
6)VLF帯オメガ電波観測
VLF帯の電波は航行用としてのオメガ送信局など多数が世界中に存在している.VLF帯の電波は電離層と地表との間で反射しながら遠方まで到達する(大地導波管).これまで送信局と受信局をむすぶ大円の近傍で比較的大きな地震が発生した場合に震央上空の電離層に異常が現われるのではないかとの報告がなされていた.図は長崎県対馬から送信されたオメガ電波を千葉県銚子で受信した時のターミネータ・タイムというパラメータをグラフ化したものである.地震の二日ほど前に2σを超える極めて大きな変動を示す異常が観測されていた(Hayakawa, et al., 1996).この方法については第4章で詳しく説明する.
7)VHF帯FM電波観測
八ヶ岳南麓天文台の串田嘉男は,流星観測のために通常は観測されない見通し外のFM放送局の電波を観測していた.これは通常電離層を通過するVHF帯の電波が,流星物質の大気圏への突入により下部電離層で電離柱(プラズマチューブ)を形成するため,流星の突入時だけ通常は聞こえないFM放送が受信されるというもので,天文学の分野では極めてポピュラーな観測法である.串田は兵庫県南部地震の前後にそれまで観測されたことの無い現象を観測した(基線幅の異常).基線幅異常は1月15日に最大となり,その後減衰している(串田嘉男,1996).大震災以降串田は1993年の観測開始以来のデータを詳しく解析し,FM電波観測異常と地震との関係についての相関関係を精力的に研究するに至っている.この方法についても第4章で詳しく説明する.
早川らが発見したVLF帯(オメガ)の伝播異常と串田が観測したFM電波の異常は,双方とも下部電離層の異常と解釈され,両者のピークが地震前の1月15日と一致する事は極めて興味深い観測事実である.早川らの理論計算によれば下部電離層が1-2km低下していると上記の現象をうまく説明するとの事である(Molchanov and Hayakawa, 1998)
● 雷の影響について
VLF帯からHF帯における自然界の最大のシグナル源は空電(雷)である(たとえば饗庭,1990,北川,1996).図2-2に示したものは各電力会社が電力設備保守のために観測している対地雷データをコンパイルしたものである.1月9日,10日には活発な雷活動があった事も事実である.しかしなぜこの日にだけELF帯(畑)やVLF帯(藤縄)に極めて大きなピークが観測されたかを合理的に説明する必要があると思われ,極めて示唆に富む結果といえるであろう.雷との関係および識別については4章でも触れているのでそちらも参照して頂きたい.
● 宏観異常との関連
このような観測事実から「能動的」と考えられる項目の観測では1月9日,10日に異常現象が集中しているように思われる.さらに電離層の異常は地震発生2日前に極大を迎えていた事は確実と思われる.
ここでいわゆる「宏観異常現象」ついても若干言及したい.宏観異常現象とは科学的な測定装置によらなくとも検知できる(地震に関連する)異常現象である(力武,1998).なお阪神大震災の際に報告された宏観異常現象は弘原海(1995,1998)に詳しい.宏観異常現象出現の原因として提唱されてきた仮説の一つに帯電エアロゾルが地震の前に地下から放出されるというものがある(トリブッチ,1985).帯電エアロゾルとは空気中の静電気を帯びた微粒子を意味している.阪神大震災の前には大気中の帯電エアロゾルの量に異常があった可能性を示すデータがある.株式会社神戸電波は,クリーンルーム評価用の帯電エアロゾルテスターメーカーとして名高く,同社は神戸周辺でエアロゾル値を常時観測していた.神戸電波によれば地震発生の8日前(1月9日)からエアロゾル値が異常増加していたとの事である.その値は通常の冬場の時期で1ccあたり約800個のイオン量が,4倍近い3000個に増えており,かつプラスとマイナスのイオン比が地震直前まで急変を繰り返した事が記録されている.このような現象は同社の観測では初めての経験であったそうである.
また大阪大学の池谷元伺のグループは兵庫県洲本市の大気中の窒素酸化物濃度がやはり1月9日に顕著な増加を示していたことを確認している(松田ほか,1998).
この1月9日には弘原海(1995,1998)の著書の表紙を飾る明石海峡に出現した竜巻状の雲が観測された日である(写真2-1,杉江輝美氏撮影).当日は強い西風が吹いており,それに負ける事なくまっすぐに切り立ったのである.気象関係者の「雲ではあるが,雲ではない」というコメントがこの雲がこれまで知られているような成因では説明できないことを端的に表すものといえよう.当時工業技術院機械技術研究所の榎本祐嗣は流体計算解析を行い,連続撮影された写真の雲を説明しようとしたが,単純なガス噴流では現象を説明できず,結論として帯電ガス(プラズマ)に起因する電磁流体ジェット現象であった可能性が極めて高いと結論している.榎本は「おなじみのウイルソンの霧箱実験が大空の中で実演されたのではないか?」とコメントしている.図2-3には榎本祐嗣(私信)による雲の位置の推定を示す.
図2-4には電磁気学的に色々な異常現象が観測された1月9日,10日をはさむ4日間のVLF帯尾池,VLF帯藤縄および電力会社により観測された対地雷のデータの時系列変化を示す.これに畑が223Hzで観測した極めて大きなピークを考え合わせると,9日,10日には阪神大震災と関係する電磁現象があった可能性が極めて高いのではないかと考えている.
● 地震当日の記録
直前の電磁気学的な異常現象
前出の兵庫医科大学の前田は地震当日の朝特定方位からやってくる異常な電磁波を朝5時20分ごろから観測した.その電磁波は午前5時ごろから急増し,本震発生前後の10分ほどは観測されず,ふたたび5時50分以降に観測された(Maeda, 1996).京都大学の尾池は,通常は電界強度のみをカウントしているが,1月17日午前2時ごろ,自宅でモニターしていた電界パルスの急増に驚き,「これまで経験したことの無い変化」と直感し,波形記録装置のスタートボタンを押して就寝した.そのため全く幸運な事に,当日のみ電磁波の波形記録が存在している.これは極めて示唆に富む事実で,尾池は過去10年を超える観測経験から,1月17日の未明,「何かおかしい」と直感した訳で,常日頃からデータをいかに良く見るかが自然科学を探求する科学者にとっていかに重要かを示している.
図2-5には地震発生当日の記録を示す.
いずれも午前5時ごろからの電磁パルスの急増を示している.これと極めて関連が深いと思われる証言が電気通信大学の芳野赳夫(現・福井工業大学)により集められている.以下これを紹介する.
芳野(1996)は阪神大震災発生時に震央付近を走行していたトラックの福山通運・高橋淳一運転手より,中波のラジオ関西(558kHz,20kW)の雑音状況についての証言を詳細にまとめている.氏は元電話級アマチュア無線技師の経験があり,幸いにも極めて明確に雑音レベルの変化を記憶していた.芳野によれば「高橋運転手は1月17日午前1時頃,約6トンの鋼材を積み福山市郊外の福山通運貨物ターミナルを名古屋にむけて出発した.途中福山東インターから岡山インターまで山陽自動車道を走り,次いで備前インターまで国道2号を,備前インターから再び山陽自動車道に戻った.その後山陽姫路東インターで国道2号線に下り,5時頃東加古川付近に差し掛かった.高橋運転手は長距離トラック・ドライバーの常で,眠気防止を兼ねて中波放送を聞きながら運転を続けていたが,この時はいつもの通り神戸に接近するにつれラジオ関西(JOCR,神戸,558kHz)を受信しながら走行した.東加古川付近を過ぎる頃,最初に放送に雑音が混入しているのに気付いた.明石市を過ぎる頃からノイズレベルが放送波レベルに近くなり,非常に耳障りとなった.この様な事は以前に経験した事が無かったので,不思議に思いプレチューンしたプッシュスイッチを押して,阪神で受信可能な1MHz前後の他の放送局5局を試しに受信してみたところ,550kHzから1.6MHzまでのすべての放送波帯内で同様のノイズの混入が観測された.
不思議に思った高橋運転手は558kHzに戻し,このノイズはどこまで行けば消えるかとそのままにして走行を続けた.5時20分頃舞子を通過し垂水に入った途端,急に強烈なノイズが受信された.この時思わずボリュームをしぼって前と同じ程度のレベルに調整し,そのまま走行を続けた.この後数回,他の放送局の電波に切り換えてみたが,常に中波放送帯すべてに渡り強力なノイズでまったく放送内容は聞き取れない状態であった.その後,JR兵庫駅付近で急に放送内容が判明できる程度にノイズレベルが下がり,神戸市兵庫区に入ると再び前と同程度のノイズレベルに戻った.その後神戸市東灘区を通過する頃一層レベルが上がり,そして高架橋崩壊部分を通過した直後の5時46分,強烈な振動にハンドルを取られて左右に振り回され,夢中で急停止し,何事が起こったかを確認し安全を確かめるつもりで直ちに車外に出た.その後15-20分後に車に戻ったところ,つけっぱなしであったラジオが地震発生を告げているのが聞こえた.すなわち本震発生直前に放射されていた激烈なノイズは消えていたのである(一部省略).」
このように地震時にほぼその断層直上を走行していたと考えられる車両からの雑音レベル変化の報告はおそらく初めてのものと考えられる.芳野は本文で「常に一般大衆が聞いている中波放送帯で,時ならぬ強烈なノイズが混入し始めた時には,直下型大地震の予兆である可能性が非常に高いと言える事を示唆している.」と述べている.力武(1998)は自身のまとめを通じて「兵庫県南部地震が顕著な前兆的電磁波異常を伴った事はあきらかである」とこの報告の意義を強調している.
またこの地震ではこれまでも報告のあった発光現象(例えば佃,1995aおよび1995b)についても多くの証言が集められた.発光現象のメカニズムについても池谷(1998)などにより精力的に研究が進められることとなった.なお地震時の発光については1999年7月のトルコ・コジャエリ地震の際にも極めて明瞭なビデオが撮影されている.
発光現象の直接の証拠と考えられるものに以下の報告がある.Enomoto and Zheng (1998),榎本(1998)は,地震後,淡路島の平林地区の野島断層・断層面に露出したラメラ状黒変硬化ガウジ(断層粘土)の露頭やその付近のみに見られた草の根の黒変化や花崗岩の断層壁に残る黒い状痕を調査した.彼らはX線回折分析などを行い,数百度あるいはそれ以上の高温状態が存在していたとの結論に達し,この原因として放電が関与し,これが地震前後に目撃された発光現象の説明となりうるのではないかと推論している.
● その他の変動
地震学的な異常
大震災の前日の夜,明石海峡付近を震央とする前震が4個発生したと後日報告されたが,京都大学防災研究所の微小地震活動データから片尾,安藤(1996)は大地震の1-2年前から震源地域で微小地震もほとんど起こっていなかった事を報告している.茂木(1998)は著書の中で若干違った解釈をしているが,いずれにせよ地震学的にも破壊に至る過程を推察される変化が震源域で観測されていたと結論している.
本書では地震カタログを用いた統計的な手法を2つ紹介する.ロシアのケーリスボロクらのグループは非線形ダイナミクスと地震活動の自己相似現象を数式化し,M8とよばれるアルゴリズムを開発した.M8では地震活動度,地震活動度の変化,その空間集中度などを常時モニターし,それが彼らの定めた危険水準を越えるとその地域に5年間の警報(発生可能性の増加)を自動的に発する.期間内にその地域でM8クラスの地震が発生すれば予知成功,そうでなければ予知失敗というものである.彼らによれば環太平洋地域で発生したM8クラスの地震の90パーセント近くを予測したとされている.今回彼らは気象庁の地震カタログを用い,マグニチュード7から7.5の地震が発生する可能性を議論し,阪神大震災の対応地域で90年の半ばから5年間の警報が発せられる異常値が出現していた事を確認した(図2-6,Kossobokov, et al., 1999).なおM8については第5章でも説明する.
東海大学の村瀬 圭は博士論文として地震活動に関連したフラクタル構造の時間的変化を最近の色々な地震について研究した.神戸地震について彼は,1990年から97年の気象庁地震カタログを用い解析した.その結果震源の空間分布のフラクタル次元が94年の中ごろから低下し,さらに10月ごろから顕著に低下していることを突き止めた(図2-7).
今回ここで紹介した2つの方法はいずれも何らかの「時間変化」をモニターしている.この「時間変化」を追うという事が地震予知研究なのである.但し地震活動の変動をモニターする方法では,普段あまり地震の発生しない地点(地域)を議論する事が原理的に不可能である事,さらにこのような地震カタログを使った研究では,使用したカタログの精度,均一性に極めて影響を受けやすい事を認識しておく必要があろう.
● 地下水の異常,地殻変動の異常
地下水や地殻変動に観測された前駆的現象はTsunogai, and Wakita. (1996),片尾・安藤(1996)などにより報告されている.図2-8はそれらをまとめたものである.一番上のグラフは六甲トンネルの中の湧水量変化で,図中の大きなピークは,北海道南西沖地震に伴う変化である.深いトンネルの中でも湧水量は周辺の降雨量の変化に(遅れをもって)影響を受ける訳であるが,1994年の夏は渇水でほとんど雨が降らなかったのにもかかわらず11月ごろから湧水量が増加に転じている.同様な変化は六甲で測定された塩素濃度や,観測期間は短いものの,西宮市内で測定されたラドン濃度にも見る事ができる.さらに地殻変動データにも同様な変動を見る事ができる.ここにも「地震予知学」の実現のためには多種のデータを総合的に収集し,比較できるシステムを構築することが極めて重要であるといういわば著者が考える本書の重要なメッセージの根幹をなす「事実」なのである.
なお地震時の変化(コサイスミックな変化)のうち,地電流の変化については,当時NTT回線を用いた広域的な地電流観測(ネットワークMT観測,上嶋,1997)が岡山県及び滋賀県(琵琶湖西岸)で行われていた(Electromagnetic Research Group for the 1995 Hyogo-ken Nanbu Earthquake, 1997,大志万,1995).地震発生時より約10秒ほど遅れて顕著な地電流変化が観測された.これは少なくとも地震波(P波)の到達より早い段階で変化が生じていた可能性が大きい.もしこの変化が真に地震に関連するものであったならば,電気的シグナル発生・伝播についての重要な知見を含んでいる.しかし地震発生時には,停電などがほぼ同時に発生しており,現時点で確実な結論を得るまでには至っていない.
地磁気変化については京都大学の家森らが,京都府峰山観測点のデータからやはり地震波到着前に約0.6nTの変化が生じていた事を報告している(Iemori et al., 1996).
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